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特別編
あのころ特別編として会員の皆様の秘蔵写真をお借りし掲載させていただきました。
ジム・アイバンオフ:日本では、いつも楽しい人との出会いがあります。慎吾くんもその一人です。20年前のある番組企画のロケ現場にて。
石橋 美幸:独立開業決意と同時に妊娠。クライアントさんに2週間お休みいただいて、息子誕生しました。
大滝 道晴:「私と近藤康夫氏」東京造形大学時代の康夫ちゃんと、関西旅行での一コマ。康夫ちゃんは坊主でなかった時です。
大西 亮:大学時代の黒歴史。髪オレンジ、手作り目覚まし時計ネックレス、黄色いカフスシャツ、サイズが刻印されたボーリングシューズ…
奥 俊輔:高校の実習でマグロ漁をしている時の一コマ3ヶ月間船上生活で地獄も味わいましたが、いい思い出です。
小田 秀樹:32歳の頃に「社員旅行」で訪れたシンガポールの市内観光の写真です。
KDWカサハラデザインワーク 笠原 英里子:マイクロソフト Window’s95のCMに出演した頃。近藤事務所に入社してからほぼ家に帰れず毎晩徹夜していました。(涙)
木村 倫香:「社会人になりたての頃、7年前に他界した父と。」
劔持 良美:2009年SOL style設立年です。伊東31歳、劔持27歳。デザイナーズウィークのコンテナ展初出展時。
佐伯 俊輔:学生時代にフィリピンの田舎でヤシの実すすって満足してるの図
品川正之:若かりし頃、事務所内のワンカット。まだドラフターでした。
新藤力:5歳、“神童”と呼ばれていたころ。今も“新藤”と呼ばれています。(1959年広島市「天満屋」屋上にて)
戸矢崎 弘美:25歳ぐらい。自分の事務所を開設した頃です。後ろのZライトが、時代を物語ってますね。
羽隅 斉明:学生時代のアルバイト先でのワンショット。いや、中森明菜とのツーショット!
原 康喜:「3歳頃の僕、お初炭酸飲料に♪現在は別の炭酸飲料に♡」
原 康喜:20歳の時もこんな感じ...
原 康喜:給料の殆どを車に使っていた20歳の頃
福田裕治:「幼い頃の自分」生まれた場所は東京都目黒区中目黒、昭和35年くらいの時に目黒川の河川敷で父親に撮ってもらった姉達との写真です。当時の目黒川は川の側まで行けました。銭湯の帰りで夕涼みをしている所でした。背後に映っている鉄橋は東横線、今では河川敷も整備され、桜の名所になっていますね。
福田裕治:1994年4月19日、あと5日で39歳の誕生日を迎えようとしていた。勤めていたアルテリアでのデザイン設計業務をしていた頃、クライアントは百貨店が中心。当時は平行定規かアーム式ドラフターで設計作業、トレッシングペーパーに鉛筆書きが支流でした。MiniCADがやっと登場してきました。まだ間使えこなせない状況でしたね。
星 明臣:ジャニーズやってた頃です。
松田 好且:インテリアデザイナーを夢見てT型定規を担いで通学していた最後の10代。
三原 慎一:たぶん25歳くらい。一番元気のよかったあのころ。今も毎年欠かさず滑ってます。
三原 慎一:スキーは僕の生きがいそのもの。人生のストーリーを増やし続けてくれます。
水谷晶人:水谷晶人37年前の1986年(大学生21才)六本木にあった人気ディスコにて。河合その子に似てると言われてた…
棟方 義雅:25歳のころ、場所は都内のライブハウスで月に一度オリジナルの曲を創って歌っていました。まだ独身の頃の遠い昔の頃です。あのころ 暮らしの中に唄があったころ 唄の中に暮らしがあったころ 月に一度 都内のライブハウスで あのころ
村上 敦:「24 年前の建築旅の途中。1999 年バルセロナのバックパッカーで出会ったのは全員建築学生だった。」
山辺 勝行:TOTO入社2,3年目の24,5歳の職場《金具設計部》(水栓や衛生陶器付属金具の設計)で。50年前になります。写真さがしましたが、50年前で不鮮明&セピア風。確か長髪ばやりでした。
山辺 勝行:もう1枚はお気に入りのおまけ。職場の青年部の屋外リンクでのスケート教室で「模範演技みせろ」と言われ、こことばかり格好よく・・。20代後半でした。
吉村 麻里:生後5ヶ月の頃。捕まり立ちが出来る様になり嬉しくてたまらない様子。小さい頃は良く男の子と間違えられていました。
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